2010年 08月 13日
エコ本づいてます。 |
"The Green Book"(エリザベスロジャーズ著)も枝廣さん訳。
どっちの本にも書いていて面白かったのは、「ツバメは蚊を食べてくれる」ってこと。
ここに食いつくか?て感じではあるけれど、ツバメシーズン真っ盛りなので、気になって。
「減らす必要があるのは、モノやエネルギーの使用量であって、人口や生活水準、より良い世界への希望ではない」と著者ドナエラ・H・メドウズは訴えかける。
地球の危機!人類滅亡!などという地球の存続を駆けたドラマティックなうたい文句の方がインパクトが大きく、そのためについつい私達はメディアのそういう部分に食いついてしまう。本当はこう言いたいのに。「私たちは自分たち(の欲を)をコントロールできるか?」
欲をコントロールすれば、危機を乗り越えられるはず。
私たちはどちらのヴィジョンを見たいだろうか?
破壊的な未来か、それとも地球とその上に住む者との共存か。
もしも、「こうなっている状況はあなたが悪い、だから○○を今すぐやめるべき!」なんて言われたら、自己嫌悪で気分も悪いし、何もやる気が起きてこない。それは希望が持てないから。
でも、「大丈夫ですよ。」と本当は全然そんなことないのに、安心させる名目で臭いものに蓋をされても逆にそっちの方が怖かったりもする。
そやし、楽観・悲観のどっちが正しいのかの水掛け論なんて「どちらも正しくない」のだ。
著者曰く「これでいいというには悪いニュースがたくさんあり、もうだめだというには良いニュースがたくさんある」と。
ネイティブアメリカンの格言に、「7代先まで考える」というのがあり、何か物事を決める際には、自分たちの7代先の子孫のことを考慮に入れて、300年ぐらい先のことも考えて、というもの。
今の便利な世の中で、7代も先のことを考えながら生きている人はどれぐらいいるだろう?
自分のことすらちゃんと考えられないのに・・・?
そう、何でもまずは自分のことをしっかり考えていなければ、相手のことなんてどうでもいいわけで。だからこそ、自分自身に対しての正しい選択を心がけないとアカンねやろう。
カルチャークリエイティブという新しい単語が出てきた。
地産池消を心がけ、大量消費との縁を切り、自給自足で、システムに依存せず、子どもの教育に大きく関わり(最も尖がった人たちは人口問題からそもそも子どもを持たない!)、シンプルで、オーガニックフードと代替医療を推進し、イデオロギーを掲げず(政治的活動を行っておらず)、よく学ぶ人たちの事を指すらしい。
自分のことを考えると、いくつかは当てはまっているが、まだここまでには至っていない。
地球(環境)と言う壮大なものから自分自身が見えてくる。
そして、この本で培ったエコ的視点を持ってして、野口健さんの「自然と国家と人間と」を読んだら、めちゃ泣けてきた。
これを友達に言うと、「アルピニストの人やろ?どこに泣くことがあるん?て、思て、(爆)」と爆笑をかっさらってしまった模様。
「もし皆さんが世界について知りたいなら、テレビを消してください。本を読みましょう。人と語らい、散歩に出かけ、周囲を見渡してください、そして生きてください。」
「十分とはどういうことかを定義し、それに従って生きることです。それは貧困の中で生きることでも、全てを断ち切ることでも、過去に戻ることでもありません。・・・無駄や無数のゴミを生み出さなくても安心や充足感を得ることであり、より多くのモノを持つことに代わる人生の意味を新たに発見することであり、むやみにモノを手に入れることで得られる薄っぺらな満足感の代わりに真の満足を選ぶことなのです。」
「実際のところ、指揮管理したいという願望は、自己と他人から生きる喜びを奪い取りたいという抑えがたい破壊的衝動である。測定や予測や管理に優位性を見出す社会が、結果的に環境破壊、富と力の不均等、種の大量絶滅、大虐殺、水素爆弾など数え切れない恐怖をもたらすことは少しも不思議ではない。私たちが何世紀にもわたり『支配』『教要的な行動』『個々の私利私欲』という説得力のある概念に潰されてしまった以上、それは当然の結果である。」
「好きでもない人に良い印象を与えるために、欲しくもないものを買おうと、稼いでもいないお金を使う人が多すぎる。」
「境界線は現実の世界ではなく、心の中にある。」
「自分の心に蓋をしない勇気を」
「足るを知ることに喜びを見出すこと。」
「環境を守る為にできること
車に乗る必要のないところに住む、持つなら燃費の良い汚染の少ない車を、できるだけ歩くか自転車かバスか、肉を食べる量を減らし、有機農産物を買う、グリーン電力を選ぶ、広告に耳を傾けるのはやめる。」
by mandalasoap
| 2010-08-13 23:55
| LOHASと暮らし