2009年 10月 09日
ハナちゃんの話 |
私が中学二年の時の話。
ある日、転校生がやってきた。
担任の先生が、新しいクラスメートを紹介し、黒板に名前を書く。
その名前はなんだか珍しい苗字と名前だった。彼女は中国からやってきた。
日本の学校に入るからということで、中国名を外し、日本語風の苗字と名前に改名したのだという。
名前はハナちゃん。
背も大きいし、顔も大人びた風の彼女の年は二個上のお姉さん。
言葉の面でハンデがあるからということで、本当は高校生なんだけど中二から入学することになった。
ハナちゃんがくるやいなや、ハナちゃんの周りにはみんなが集まっては、質問攻めの毎日。
あまり日本語が出来ないといいながらも、一生懸命伝えようとするハナちゃんと、一生懸命理解しようとするクラスメート達。今思い出すと、とてもほほえましい。
しかし、それも最初のうちだけで、だんだん飽きてきてしまうのか、ハナちゃんのまわりにもそんなに人も群がることもなくなってきて、自分たちの持ち場に戻るようにみんなが自分たちのグループに帰っていった。この辺、子供って残酷やなと思うわけだ。
何がキッカケか忘れたけれど、なんやかんやでハナちゃんと仲良しになった私は、休み時間ごとにいろんな話をした。
当時、アンディウォーホルに超ハマっていた私は、アンディウォーホルの作品から「毛沢東=Mao Zedong」を知った。そしてハナちゃんにそれを伝えると、彼はすでに亡くなっていて、現在は天安門に大きな肖像画が飾られているんだよ、と教えてもらった。
ある日、ハナちゃんが「餃子好き?」と聞くので、「うん、好き。」(※当時は肉食)というと、次の日には学校にたくさんの餃子=Jiao zi(ジャオズ)と包子(肉まん、あんまんの類)=Bao zi(バオズ)を持って来てくれた。その日の昼休みは日中文化交流会となり、みんなの弁当のおかずもズラリと並べ、「これ、日本の定番おかず」とか言って卵焼きやら何やらをハナちゃんにあげたり、「私もそれ食べたいから交換しよー」とか、わいわいガヤガヤで中華パーティと化した。花見的なテンションの高まりに隣のクラスからも見学者が入れ替わり立ち替わりやってきたりもして。
なので、私が始めて覚えた中国語はニーハオの次に「包子」と「餃子」と「毛沢東」だ。
最近、「中国における餃子の位置付け」というのを知人から聞いた。
なんでも、餃子を一緒に食べる仲というのは、親しい関係であり、
餃子を作ってあげるという行為は、友好の印なんだと聞いた。
ううっ、そうだったのか、ハナちゃん・・・。
何も知らずにパクパク食べてたけどなー。
その後、クラスが変わって、少しずつ会う時間が少なくなって、高校になったら私は地元を離れたから、その後は全然合っていない。
17、8の時に英検か何かで中学時代の同級生とばったり出会った。その同級生は賢くて可愛くて背も高くシュッとした女の子で地域で一番賢いといわれる高校へ進学した地元でも珍しい(?)才女である。
「ハナちゃんがマンダラちゃんのことどうしてんのかってずっと言うてたで。」と教えてくれた。
私 「え、ハナちゃんも○高なん?」
「うん、そやでー。」
私 「うそー、また会いたいし、よろしく言うといてー。」と言っといたが、それから全く知らない。
言葉のハンデも超え、賢い高校へ行ったということが、私にはとても嬉しいというか誇らしく思えた。
私はというと、そないかしこないアホ女といわれる某女子高へ進学していた。(まあ、これが、めちゃめちゃおもろかったので入って大正解だったけれども、笑)
今頃どうしてんのかなー、ハナちゃん・・・。
思い出して言えることは、ハナちゃんは何人とかいうくくり(区分)ではなく、ハナちゃんはハナちゃんであり、私の大切な友達だったってことだ。
ある日、転校生がやってきた。
担任の先生が、新しいクラスメートを紹介し、黒板に名前を書く。
その名前はなんだか珍しい苗字と名前だった。彼女は中国からやってきた。
日本の学校に入るからということで、中国名を外し、日本語風の苗字と名前に改名したのだという。
名前はハナちゃん。
背も大きいし、顔も大人びた風の彼女の年は二個上のお姉さん。
言葉の面でハンデがあるからということで、本当は高校生なんだけど中二から入学することになった。
ハナちゃんがくるやいなや、ハナちゃんの周りにはみんなが集まっては、質問攻めの毎日。
あまり日本語が出来ないといいながらも、一生懸命伝えようとするハナちゃんと、一生懸命理解しようとするクラスメート達。今思い出すと、とてもほほえましい。
しかし、それも最初のうちだけで、だんだん飽きてきてしまうのか、ハナちゃんのまわりにもそんなに人も群がることもなくなってきて、自分たちの持ち場に戻るようにみんなが自分たちのグループに帰っていった。この辺、子供って残酷やなと思うわけだ。
何がキッカケか忘れたけれど、なんやかんやでハナちゃんと仲良しになった私は、休み時間ごとにいろんな話をした。
当時、アンディウォーホルに超ハマっていた私は、アンディウォーホルの作品から「毛沢東=Mao Zedong」を知った。そしてハナちゃんにそれを伝えると、彼はすでに亡くなっていて、現在は天安門に大きな肖像画が飾られているんだよ、と教えてもらった。
ある日、ハナちゃんが「餃子好き?」と聞くので、「うん、好き。」(※当時は肉食)というと、次の日には学校にたくさんの餃子=Jiao zi(ジャオズ)と包子(肉まん、あんまんの類)=Bao zi(バオズ)を持って来てくれた。その日の昼休みは日中文化交流会となり、みんなの弁当のおかずもズラリと並べ、「これ、日本の定番おかず」とか言って卵焼きやら何やらをハナちゃんにあげたり、「私もそれ食べたいから交換しよー」とか、わいわいガヤガヤで中華パーティと化した。花見的なテンションの高まりに隣のクラスからも見学者が入れ替わり立ち替わりやってきたりもして。
なので、私が始めて覚えた中国語はニーハオの次に「包子」と「餃子」と「毛沢東」だ。
最近、「中国における餃子の位置付け」というのを知人から聞いた。
なんでも、餃子を一緒に食べる仲というのは、親しい関係であり、
餃子を作ってあげるという行為は、友好の印なんだと聞いた。
ううっ、そうだったのか、ハナちゃん・・・。
何も知らずにパクパク食べてたけどなー。
その後、クラスが変わって、少しずつ会う時間が少なくなって、高校になったら私は地元を離れたから、その後は全然合っていない。
17、8の時に英検か何かで中学時代の同級生とばったり出会った。その同級生は賢くて可愛くて背も高くシュッとした女の子で地域で一番賢いといわれる高校へ進学した地元でも珍しい(?)才女である。
「ハナちゃんがマンダラちゃんのことどうしてんのかってずっと言うてたで。」と教えてくれた。
私 「え、ハナちゃんも○高なん?」
「うん、そやでー。」
私 「うそー、また会いたいし、よろしく言うといてー。」と言っといたが、それから全く知らない。
言葉のハンデも超え、賢い高校へ行ったということが、私にはとても嬉しいというか誇らしく思えた。
私はというと、そないかしこないアホ女といわれる某女子高へ進学していた。(まあ、これが、めちゃめちゃおもろかったので入って大正解だったけれども、笑)
今頃どうしてんのかなー、ハナちゃん・・・。
思い出して言えることは、ハナちゃんは何人とかいうくくり(区分)ではなく、ハナちゃんはハナちゃんであり、私の大切な友達だったってことだ。
by mandalasoap
| 2009-10-09 12:58
| 80年代